自然と温泉と美術館の町・湯布院
湯布院のシンボル・由布岳
湯布院のシンボル 由布岳1584m
湯布院駅 ボンネットバス
湯布院の辻馬車
湯布院駅 ボンネットバス
辻馬車
湯布院・湯平間のボンネットバス
湯布院は、最近テレビドラマ『風のハルカ』で放映されてるせいか活況をていしてるようです。

由布岳の裾野に広がる湯布院は、その自然よし、温泉よしということで何度訪れてもそれなりに楽しめます。

意外に多いのが美術館の類。自動車歴史館なんてのもあります。

菊池寛の『恩讐の彼方』のモデルとなった、耶馬溪の青の洞門の禅海和尚が得度した寺、興禅院。

由布岳の神として「延記式」に記されている宇奈岐日女(うなぐひめ)神社、などなど。

また、210号線から、湯布院の街の方には曲がらず、少し手前を左に曲がると(大分方面から来て)旧日野病院の建物がすぐ目に入ります。

自動車歴史館
自動車歴史館
ボンネットバス運行のポスター 自動車歴史館にある九州最古のバスのレプリカ
自動車歴史館にある最古のバス
色々な車種が展示されている。車好きには、一日いてもあきそうにない。

★★★ 曹洞宗 興禅寺
駅から歩くこと10分ぐらい。街の中心から少し離れているためか、観光客もまばら。ほとんどいない。

興禅院 字田中にある。龍雲山と号し曹洞宗に属する。禅寺である。

寺伝によれば、応安3年(1370年)に創建されたというから、歴史は古い。

慶長年間の地震により、伽藍ことごとく崩壊したが、石垣原の合戦後、当時由布院を支配した細川忠興の命により再建されたものである。

全盛時代には、湯布院に末寺が29もあったという。キリシタン禁令の折、転宗のための、天罪起請文のなかにも請人として、

この寺の僧侶の名前がでてくる。境内には板碑が一基ある。

豊後の石碑は、大友氏入国後、鎌倉御家人がもたらしたと言われている。・・・写し・・・。

不動明を表す梵字「カーン」が刻まれている。「カーン」といえば、ドイツの鬼の面相のゴールキーパーを思い出しますが、

ここでは不動明のことです。

菊池寛のこちらは、「カーン」ではない。「カン」の恩讐の彼方へ」のモデルとなった、禅海和尚の得度した寺の伝えられている。

曹洞宗 興禅院
境内には、キリシタン教会堂が在ったのではないかといわれている。
※ ここの仁王像は、「あ、うんの呼吸で・・・」に出演中。
キリシタンの墓
禅海・お弓の像 由布岳を望む
湯の坪温泉
湯の坪温泉 入浴料 200円
湯加減も40℃ぐらいで丁度いい。透明です。
豊後国風土記には、「柚富(ゆふ)の郷」と記されている。

湯布院と呼ばれるようになったのは、税を納める、院倉がおかれたためだといわれている。


由布岳を見ながら農作業、いいですね。
金鱗湖
御神木の切り株 平成3年9月27日の台風19号により倒伏した杉の切り株。

幹まわり 9,0m 樹高55m 樹齢は最高600年と推定される。

宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ)
金鱗湖
★ 宇奈岐日女神社 大分県の歴史散歩より 抜粋

別名六所宮。

祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)など大和系の神々である。

宇奈岐日女は社名になりながら、六所宮の祭神からはずされている。

古い棟札に祭神は霧島大明神影向(ようこう)の六観音菩薩とあるところからみると、

平安時代以降の山岳信仰と天台宗が、古来の女神信仰を抹殺したのではないかとみられている。

民芸村
湯布院美術館
民芸村内 小伊万里・李朝・高麗展
展示物の質、量とも見ごたえがあります。
天日工芸彫刻館

★★★ 旧日野病院・本館・病棟・離れ
湯布院美術館
結構、いりくんだ場所にあり、見つけるのが大変かも。え、こんなところに、という感じでしょうか。湯の坪温泉の近くです。

庭に色々なスタイルの彫像が林立してます。

天日工芸彫刻館

国指定重要文化財 旧日野病院・本館・病棟・離れ

指定月日 平成11年12月1日 所有者 日野副之介 

この指定重要文化財は、明治27年(1894年)日野医家代3代日野要の建立によるもので、本館と病棟からなる擬洋風の建物である。

本館は木造2階建て、寄棟造り、浅瓦葺きで、県内の洋風建物のうち最古と思われる。

最も洋風らしい外観を持っているものは、玄関ポーチで一階は、柱頭に飾りをいれ、欄間の輪郭をアーチに似せている。

病棟は、木造2階建て、寄棟造り、浅瓦葺きで、建築年代についての記録はないが、明治32年(1899年)の開業前と考えられる。

この当時の個人病院で、和風病舎を併設する病院は、きわめて少なく貴重である。・・・・途中省略・・・・。

建築後100年、老朽化のため所有者が大分県、湯布院町の補助金を受けて、平成4年10月から3年間の後期を経て平成7年10月保存修理を完了した

。              湯布院町教育委員会

旧日野病院
旧日野病院壁右上のレリーフ

並柳(なみやなぎ)のキリシタン墓地
★★★★ 並柳のキリシタン墓地
場所的には、自衛隊駐屯地の後方の山すそ。小さな案内板がでているので、それに沿って行けばたどりつけます。歩いていける距離です。

日本人って墓好きなのか、私が墓好きなのかわかりませんが、めずらしいものがあるとついつい探して立ち寄ってしまいます。

お墓参りは、最近、気持ちがなごむとかでブームのようです。確かになごみます?。

十字のあるキリシタン墓石
並柳のキリシタン墓地
キリシタン墓群の由来記
大分県 指定有形文化財 昭和35年 2月22日指定      

由布院(峯先)のキリシタン墓群   

当地のキリシタンは、約410年前の天正八年(西暦1580年)湯布院郷士の一人、奴留湯左馬介(ぬるゆさまのすけ)が、部下とともに洗礼を受けた事にはじまります。

その翌年には、伝道所が設置され天正14年には立派な教会堂が建てられ、領主フランシスコ大友宗麟の庇護もあり、信者は1500人とも2000人とも言われた。

しかし徳川幕府の禁教により、慶長19年(西暦1614年)以降、きびしい「宗門改め」が行われ、キリシタンは一応終焉したが、いわゆる隠れキリシタンとなったのも多くいた。

歴史を物語るように町内には、多くのキリシタン墓があるが、一番多いのが、この並柳、峯先墓地で十字章のあるもの、30基、隠れキリシタンのものと見られるもの40基があり、苔むした墓に昔の面影がしのばれる。

                     湯布院町教育委員会     ママ

キリシタン墓石 中央にダイヤ形の溝があり、四方に十字の刻みが入っている。
キリシタン墓石
点在する墓石

豊後文化デジタル保存会会友西荻窪 手打ち蕎麦 鞍馬

東京都杉並区西荻南3−10−1  定休日 毎週水曜日

自家製粉手打蕎麦・鞍馬
店内にある製粉機
自家製粉手打蕎麦・鞍馬
ここかしこにモダンなリトがかかっている。
店内には製粉機が置かれている。
鞍馬店主・吹田政己さん ある日の会話 

「うちは、自家製粉で手打ち蕎麦よ。」 「どのくらい1日打つんですか?」 「200食ぐらいかな。」 石抜き、磨き、粒揃え、皮むきを経て

、製粉までの全工程を自家内で作業し、蕎麦粉を水まわししてまとめあげ、のし、切りの後、御客さんに提供される。

また、玄蕎麦は、有機栽培の常陸秋そば(種子名)。ここの店主、吹田政己さんこだわりにこだわっております。

ここの蕎麦は確かに、他で食ったことのない味です。と、ろくに蕎麦通でもない私が言ってるのが、ミソ。

二八蕎麦が多い中で、十割蕎麦。つなぎ無し。

「手打蕎麦、22年。」 最近、インターネットのブログに度々登場。知る人ぞ知る、蕎麦の名店である。

蕎麦へのこだわりは追随をゆるさず。日本蕎麦文化の継承者。

店内にはモダンなリトが掛かっている。
店主 吹田政己さん

 ★★★ 高杉晋作の隠れ家 (湯布院館内)
湯布院資料室入り口
釘を一本も使用していない梁
湯布院館の2,3階が資料室になっている
大木の横木(継ぎ目に釘が使われていない
210号線を大分方面から南由布駅方面に右折せず、水分峠方面へ。しばらく道なりに進むと、左手に大きな屋敷風の建物が目に入る。

ここは、一階がお蕎麦やさんで(瓦そばと言うらしいが、)よくある峠のレストハウスという感じなんですが、なんと表の看板には、「高杉晋作ゆかりの家」と書かれているではありませんか。

高杉晋作がこんな湯布院まで来たんだ、いつ?何しに?と感心して足は資料館の入り口へ。「いらっしゃいませ!」の声に「どきっ」として、やっぱり只じゃまずいわなあ、とコーヒーを注文。

コーヒーを飲みながら店員さんに話をうかがってみると、この家は、もともと、福岡の大宰府にあったもので、

この場所に後年、移築復元したものだということが分かった。館内の由緒書きによれば、200年近い歴史があり、江戸末期に高杉晋作がかくれ住んだとか。

別に高杉晋作がかくれ住んで無くても、必見おすすめの家屋です。

木造3階建ての合掌造りで、屋根の形がカブトを思わせる兜造りで、最も長いウシ(家の横木)で17メートルあるそうで、しかも釘を一本も使用しておらず九州では類を見ないとのこと。

,なんと運んだ木材10トン車5台分。

6畳ほどの3階資料館には、明治維新の立役者の写真やら、鉄砲やら新撰組の近藤勇や、土方歳三の写真が所狭しと飾られてありました。

以前、新聞記事にもなったらしいのですが、当方知らず。

湯布院館3階にある高杉晋作の肖像とゲーベル銃
湯布院館3階 高杉晋作の写真が飾られてある
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